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母の日に寄せて

りなさんのブログを見て、
母への気持ち、忘れないうちに記録しとかなくちゃ
そんな気になったので、書きます。

 

僕の母は昨年の7月に急性白血病で亡くなりました。
だからきのうの母の日、両親の写真を見て心の中で
「おかん、ごめん」と、つぶやきました。

亡くなるまでの数年、母はアルツハイマーでした。
惚けが発覚するまでの母は
我が家の二人の孫の顔を見るのが、そして
何よりも次男坊の僕の軽口を聞くのを楽しみに、
そんな僕ら家族に、月に3~4回、自分のこづかいから
寿司か蕎麦を食べさせてくれるのを
僕らも、そして彼女も楽しみにしていました。

そんな彼女の異変に、もっと早く気づけていたら。

 

父が僕の結婚式のその月に亡くなってから
母はたった一人で、平岸にある実家で生活していました。
最初は僕らも中の島で新婚生活を送り、スープは冷めるけど、
すぐに駆けつけられる距離にはいたんです。

そうしているうちに、僕ら夫婦のスェーデンハウスの家に住みたいという夢がむくむくと膨らみ、
そして喘息がちな長男のために空気のきれいなところ、
そしてすぐ実家に駆けつけられる田舎、恵庭に住む事になりました。

床の間のある和室は客間ですが、
母の部屋になるかも知れない、
そんな部屋でした。

でもまだ60代だった母は全くもって達者で、
また友人も札幌に多く、
そして大の猫嫌いで、
我が家に猫が来てからは
母が恵庭に来る事は無くなりました。

だから仕事で土日もなにもない1~4月以外は
僕だけでも実家に行ったりしていました。

でも母の友人が長期滞在していたりすると、
こちらで気兼ねして行かなかったり、
長男のミニバスがあると行けなかったり、
だんだんと立ち寄る回数が少なくなってしまったかも知れない。

 
 

そんなうちに、
母の言動の異常に気づいた。

うちの長男が母に「高校に行ったらお金頼むね。」と言った、と言うのです。
もちろん小学生の長男がそんな事を言うはずがない。
経済的に自立できていない我が子への心配が見せた幻、
すでに病気ははじまっていたのに
その時僕は「うそ~。」くらいしか言えず、深く考えなかった。
その時行動していたら。
今でも悔やまれる。

そして一年後、また母との会話の中で
今度は天井に現れる虫の幻が出てきたのです。
そして、お金の払い方が雑になり、
どうも他人にそのおつりをあげているような。

既に時、遅しでした。

すぐ兄貴に相談をし、
兄貴夫婦に精神病院に連れて行ってもらった結果は
アルツハイマー病でした。

脳の萎縮が始まっており、
このまま惚けが進行して、最後には死に至る。

兄弟で相談しても、なかなか良い方法が見つからない。

すぐにでも引き取って観てやれば、それで良い筈なのに。

結局、結論は

しばらく、介護サービスで食事と薬の世話をしてもらって、
デイケアに通いながらグループホームを探し、
最後には介護老人ホームの順番を待つというものでした。

介護サービスに来てもらう間は
母の作る、魔女のスープ(とりあえず、体に良さそうなものを全て突っ込んだ惚けてからのスープ)を飲まされそうになりながら、兄弟交替で終業後実家に立ち寄りました。
しかし、介護サービスが始まっても惚けの進行が止まるはずもなく、
徘徊まで始まって警察のお世話になり、
また、徘徊中にコケてケガを繰り返したり、
幻も増え、小さな女の子が服を盗みに来るとか…。
僕らの実家立ち寄りは終わりませんでした。

そうこうして半年が過ぎる頃に
やっと月寒東のグループホームが母を受け入れてくれ、
僕らは楽になったのです。

でも、

グループホームに預けられた事で安心して、
僕が母の元に行く回数は極端に減ってしまいました。

母の症状が良くならず、
人を疑ったりする言動にいらだちを抑えられない自分が嫌だったり、
衰える母を見るのがつらかったり。

母をこんなめに合わせたのは僕らが寂しい気持ちを少しもわかってなかったからなのに。

何もしてあげられない。

でも、グループホームに入ったからといって、何も変わってなかったのです。

ホームを脱走して、豊平川で保護されたりしていました。

僕に会いに行くところだったそうです。

その事件後、母に会いに行くと、
そんなことがあったなんて、もう忘れてにこやかに向かえてくれた母。

そう、嫌な事がもうひとつ。
ホームを1~2時間ほど訪問してそこを去るとき、
ヘルパーさんと一緒に見送る、どんどん小さくなっていく母をみるのが
なによりも嫌だった。

 

そうこうしながら2年も経つと、嫌がっていたホームにも慣れ、
相変わらず脱走や転倒を繰り返し、ケガだらけではありましたが、
おちつきのある日がやってきました。

しかし、次の兄貴からの連絡は
白血病の疑いでした。

ホームの担当医さんが母の皮膚に気になる斑点が出ているから
精密検査をうけるようにと言ってきたのです。

そして、得た事実は
急性白血病で、3週間から3ヶ月の命という事でした。
信じられないとしか、それしか浮かびません。

そのころの母はもう僕のこともわからなくなって、
僕に敬語で話すのです。
もう何がなんだかわかりません。

母はその後東白石の病院に入院し、晩飯のときだけ
食事の手助けに行く日々が少し続きました。
もう、母はホームの時のように悲しい顔で見送ることもなく、
ただ食事が済むと帰るだけ。

そして7月の中旬に病状が急変し、そのまま帰らぬ人となりました。

勝手な気持ちですが、死に至る半日、
ずっと側について手を握ったりしていたのですが、
僕が声をかけるとわかっているような反応をしていました。

そして夜中、
本当にゆっくりとファンが停止していくように呼吸が止まり、
母は多分、父の元へと去って行きました。

 

ガンが転移しながらも、僕の結婚式に出ようとして果たせなかった父。
カレの死の間際は壮絶なものだったそうです。
僕ら夫婦は看病の親戚の為に外に弁当を買いに出ている最中の事でした。
それに比べて実におだやかな母の死。
きっと父からのプレゼントだったのでしょう。

 

そんな二人に、なにもしてあげられなかった。
そんな二人に可愛がられていながら何も。

人は子供を持つ身にならないと、親のありがたみがわからないと言います。
しかし、子供を持つ身になっても心が大人になっていなければ結局わからず終いです。

普段から、優しい気持ち、感謝の気持ちを表現してないと
いきなりは出てきません。
とくに僕ら日本人の文化のなかでは。

決して子供に優しくして欲しいからなんてあさましい気持ちからではなく、
普段からありがとうのいえる人に、
母との今までの接し方から思います。

りなさん、

sachiさん、

MACさん、思い出させてくれてありがとう。

 

死の間際にも言いましたが、
「おかん、ありがとう。」

 

「そして寂しい思いさせて、本当にごめん。」

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コメント

はよしさん・・・。
お母様もきっと幸せでしたよ。
子供を授かって母親になったこと、汗水流して子育てしたこと、子供のことで悩んだり笑ったり涙したりしたこと、そしてその子供達が成長して大人になって家庭を持ってくれたこと、子供達が自分に孫をもたせてくれたこと、そして病気の自分を心配して色々世話をしてくれること(これは意識の一番底の方でしかわかっていないかもしれないけど・・・)、最後に手を握ってくれていたこと・・・。
きっと寂しくなんてなかったよ。
わたしも母親になってよかったと思います。

投稿: さりい | 2008.05.12 14:08

さりいさん、ありがとう。
手を握る事が最期だけになってしまったけど、
恥ずかしくなくできました。
それで喜んでくれていれば良いなあ。

投稿: はよし | 2008.05.12 14:25

そう、こうして忘れないようにと記録に残しておいてくれること・・・きっと天国で喜んでいてくださってますよ。
はよしさんは、やさしい。
またここへきて文章を読んで涙が止まらなくなりました。
母親への感謝と同時に、母親でいることの幸せを、改めて感じました。
こんな気持ちを思い出させてくれたはよしさんに感謝します。ありがとう。

投稿: さりい | 2008.05.12 15:36

さりいさん、
捉えようによっては、ただ母親を引き取って面倒みれなかった男の懺悔ですが、
そうして感謝などしていただければ、本望です。
ありがとう。

投稿: はよし | 2008.05.12 16:04

はよしさん・・・手を握られて見送られたお母さん・・穏やかだったと・・幸せだったんだんだと思いますよ。こういうことを感じられる息子を持ったことに誇りを感じて、お父さんと今一緒にいるんだと思います。
私も子を持つ身・・でも親には不幸していますね。
ちょっと実家に電話でもしてみようかな・・と思いました。そんな気持ちにしてくれたはよしさん、ありがとう。

投稿: かよ | 2008.05.12 19:35

そんなことがあったんですね。

私のブログに書いて下さったコメントの意味もわかったような気がします。

私も、いっぱいお母さんに愛を返したいと思います!

投稿: りな | 2008.05.12 22:03

かよさん、
まだ小さかった頃、
さんざん握り締めていた母の手と、
死の直前まで握っていた母の手は
しわの数だけ違っていましたが、
多分同じぬくもりでした。

やっぱり母はあったかい。

そして、つおかったと思います。

電話は
した方がいいな。
ありがとう。

投稿: はよし | 2008.05.12 22:57

りなさん、
実はね、sachiさんのプログの中でお父さんのお話が出ていて、
何度か母の話をコメントに入れようかと思ってたりしてたんです。本人不在でなんですが。
でも、ぐっとこらえてたのに、りなさんの素直な記事見たら
母親に書け!って言われたような気がして。
 
女の子はね、いいんですよ。
いまどきは嫁に行こうが、実家にすぐ帰れるし。
僕をはじめ、奥さんの実家でリラックスしちゅうお婿さんって多いと思う。本題からはずれてるね。

楽しく過ごすことはできても
ありがとうってなかなか伝わらないから、
言葉で伝えられると、
親御さんはうれしいだろうなって思います。

投稿: はよし | 2008.05.12 23:06

はよしさん、わたしも逝くときは息子に手を握られながらが良いな。

でも、贅沢は言いません。
息子ってね、10才までに一生分の親孝行をプレゼントしてくれるんだって。
ひたすらに求められて、母として(下手すれば女として)の喜びをアジアワセテくれる。
後の親孝行はおまけ。
私より先に逝かないこと。
それだけで良い。
だから、母の日は仏壇に「おかん ごめん」じゃなくって、
「おかん 僕は今日も幸せ 産んでくれてありがとう」だよ

投稿: ma-ru | 2008.05.13 22:09

ma-ruさんもWコメントありがとう。

まったくその通りだと思います。

一緒に網走に行った後輩、実は生まれたばかりの長男を一昨年に亡くしていてね。
尚更、僕の子供たちが今健康で居てくれている幸せ、感じます。
母も父も同じ気持ちだったんだろうか?
 
今日行ってきた岩見沢の高校、父の母校ですが、
その近くに母の母校があります。

惚け始めたころの母に聞いた話では、戦争中、男車両、女車両と分けられていた通学列車でふたりはどうやっていたのか逢瀬を重ねていたようで、ま、学校も近いんですが、
そうして結ばれたようです。
 
ニッポンが戦争まっただなかでなにしてたんだかねー。

おかげさまで終戦の十数年後、北海道からはなれた四国で僕が生まれました。

母が半分自慢げによく話していたのが、
僕のことを
3歳ではしかにかかって、その病床で兄貴にカタカナを教わってすぐ覚えてしまったこと、
そして、
兄貴はいやいや教えられていたオルガンを僕が教えられてもいないのに好き勝手に弾いていたこと。
 
確かに子供の頃は生きているだけで、プレゼントだったかな?

母のこと、僕のこと、
まだまだ深い話、またそのうちします。

投稿: はよし | 2008.05.14 00:47

こんにちは
最近、、自分の最期のコトを考えるようになりました
どんな形かはわかりませんが、たぶん主人が横にいてくれているような気がします
そんなコトばっかり考えてるのって歳のせいなのかしら。。?
はよしさんは、お母様のコトをちゃんと考えていたんですね
はぁーー、、生きているウチに孝行しなくちゃですねー。。

投稿: 緑雪 | 2008.05.15 11:27

緑雪さん、僕は中学生の頃から
死んだらどうなるんだろう?
死にたくない、
色々と考えてきました。
父が亡くなってから、十数年、一度も出て来てくれません。
夢は一度みたかな?
 
ただ、やっぱり死んでからどうこう考えても意味がない。
生きているうちに感謝を伝えなきゃ、なんですよね。
それがまた、二人とも居なくなってから気づく。わかりきっていることだからかもしれません。

投稿: はよし | 2008.05.15 12:06

このコメントははよしさんに届くのかな?
ブログはあまり詳しくないので....
母の日に寄せて 読みました。
優しいはよしさんの気持ちが伝わってきました。
くすん... 親孝行したいときには親はなし ですね。

投稿: chi | 2008.05.18 22:00

chiさん!コメントありがとうございます。

昨年は、母と愛猫を亡くしけっこう落ち込みましたが、
逆に自分のいたらなかったところをすごく感じさせられたのも事実です。
でもそれは、自分で先にわかっていたことだと。
 
親はなにも見かえりなんて期待していない。
なら、感謝の言葉だけは…
結局それすらも伝えられなかったのは
心残りですね。
だから、最期の母に伝えられていたと信じたい。

投稿: はよし | 2008.05.18 22:54

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