時代

昨日、叔母の葬儀に参列した。

妻を亡くした叔父も母を亡くした従妹も気丈にしていた。

全く知らなかったが、12年前にすでにがんにかかっていたそうだ。

僕にとってはきれいで優しい叔母さんで、叔父がうらやましかった。

最期に顔を見させてもらったが、優しい叔母そのままだった。

合掌。

しかし、それよりも思うことは

一族の数が減ってきたことである。

叔母は母方の長男の奥さん。

母の旧姓は江頭で、

直接聞いたことはないが、多分北部九州から流れてきたのだろう。

三笠の前は夕張にいたそうである。

戦前戦後はどこも大家族なので、母の兄弟は母と幼くして亡くなった叔父を含めて8人いた。

その後隠し子やらも出てきて10人となるが。

いずれにせよ、盆正月やら冠婚葬祭となるとそれぞれの伴侶や子供たちも集まるのでわいわいがやがや大変なものだった。

それこそお年玉がたった一日で十万円になるのもあたり前だった。

だが、やがて僕がその叔父たちの年齢となった今は

叔母の葬儀に従妹たちが半分くらい集まるのみである。

叔父の兄弟たちがすでに他界しているのもそうだが、

その子供たちも現代日本では国中散りぢりになり、容易には集まれない。

そしてドライになる。

叔母の遺影を見つめながら、

自分の葬儀には子供らだけしかいてくれないだろうと思う。

いや、子供がいてくれるだけでも幸せなのかもしれない。

地域で肩を寄せ合って生きてきた日本人が

高度経済成長とともに手にした

これが現代であり、

少子化の中でもっともっとドライになっていくのだろう。

喧噪の親戚づきあいが懐かしく思える今である。

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初心

学生服で店頭デビューしたのは今はもうない丸井今井小樽店だったと思う。

かれこれ二十数年前になる。

駆け出しではあるが、男性衣料を売ってきたノウハウもあるので、デビューとはいえ猛ダッシュした。

とても狭い小樽店のフロアの中でライバルメーカーとお客さんを奪い合う。

普通に接客したのでは勝てないので、ひどい時は3組くらいのお客さんを同時に掛け持って採寸したりもした。

それだけ混んでいたので、お客さんを待たせられない事情もあったし、まだ若くて機転もきいたのでどんどん採寸していくことができた。

それは今レバンガで宣伝担当をしているO氏の真似をしたからだ。

当時O氏はうちの会社で小樽店を担当していた。

彼が学園卒ということもあって気軽にヘルプを頼まれたのだが、学生服販売とは壮絶なものである。

中学校では1月から2月いっぱいにかけて制服を求めるお客さんで、ごったがえす。

中学は2か月近くあるからまだ良いが、高校では合格発表後の2週間にほぼ同じ人数が店頭に殺到するのだから、その戦場にも似た喧噪たるや、である。

1時間待たされようが、2時間待たされようが制服は必ず買わなければいけない。

怒り出すお客さんがでてくるのもうなずける。

中学が多少余裕があるといっても、買い求めに来られるお客様の時間はほぼ土日の午後であるから、決して待ち時間が無いわけではない。

だから、こちらは誠意をもって同時の接客をお断りしながら速やかに採寸をさせてもらう。

これでお客様にクレームを受けたことはなかった。

そして、その接客を見ていた常連のアルバイトがファンになってくれた。

仕事の仕方でファンができることを初めて知った。

多分現代ではそんな接客は許されないだろう。

まだ寛容な空気があったと思う。

それに子供の数が断然多かった。

 

今、店頭に出なくなって数年がたつが、毎年この繁忙期になると小樽の丸井や苫小牧の鶴丸百貨店で販売したことを思い出す。

そこにあったのはただあるがままを受け入れてベスト以上の努力をすることだけだった。

今はそんな自分がいるだろうか。

丸井からの帰りはJRだったり、バスだったりした。

店は7時くらいには閉まるのだが、後処理をするとその時間には帰れない。

帰りのJRをO氏とビールを交わしながらとか、例のファンになってくれたアルバイトの女の子たちと小樽の居酒屋で食事をしたりそれはそれで30にしての青春だったかもしれない。

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中学からの恋

何年か前にも同じような文章を書いていたが、
最近ユニクロのやたらでかいマフラーを買った時に、昔同じようにでかい手編みのマフラーを編んでくれた彼女のことを思い出したので、書きたくなった。

若いころの僕は、モテていたかモテていなかったかというとモテていた認識は無く、むしろコンプレックスの塊だった。
色気づきはじめる中学校の頃は卒業時でも身長が142㎝しかなく、一重まぶたのメガネっこでまじめなだけのチビだったからだ。
でもあらためて思い返すと人の心を知らずにいたことを痛感する。

中学時代に書記局長で西宮出身のアルトサックスを吹く女の子に恋をした。
僕は小3の夏から小4の夏までの一年間を西宮で過ごしたのだが、その時の隣の家が同じ苗字の林さんで、そこの次女ヤコがクラスメートだった。
彼女とは札幌に来てからもしばらく文通しており、中学校に入ってからのやり取りでそれまで住んでいた高木東町から苦楽園に引っ越したことを知った。
そして僕も札幌に来てから住んでいた八軒から平岸に引っ越すのだが、転校先の中学校に書記局長がいたのだ。
そこで僕はその書記局長に恋をするのだ。
そのきっかけは音楽準備室に置いた僕の学生帽を彼女が見つけたことだった。
兄のお下がりでかぶっていた学生帽は西宮の業者が作ったもので、そのタグを局長がめざとく見つけたのだ。
あとで局長から話を聞くと、局長はヤコが苦楽園中に転校するのと入れ替わりに同じ苦楽園中から平岸中に転校してきていたのだ。
運命を感じた瞬間だった。
それからというもの吹奏楽部のほぼ毎日の部活のたびに、彼女の「帽子さわらせて、ちょさせて」が始まった。
転校して2~3か月のうちにそれは瞬く間にクラスにも伝わり、後期のクラス委員改選で彼女が務める書記に半ば当然のように選ばれた。
だが、僕にはステディーなってもらうなどという感覚が無く、ただ彼女の絵をかいて渡し、準備室で他愛もない話をする毎日だった。
しかし、そこに新たな風が割って入ってくる。

新興住宅街にある我が家の向かいはそれまで農地だったのだが、ある日家が建った。
そしてそこに越してきたのはまたまた吹奏楽部の同学年でクラリネットを吹くかっちゃんだった。
家が向かい同志であるから、そして通学区域のはずれにあるので、当然のように30分かかる道を一緒に帰るようになった。
きっとこの二人を見た人は「かぼちゃワイン」のようだと思ったに違いない。
だが、かっちゃんに僕はときめいていなかった。
同じ辺境同志くらいの連帯感だったろうか。
しかし、ある日、クラスメートに告白されたかっちゃんが「だって林君がいるもん。」と断った話が僕の耳に届いた。
局長との関係が広まっているにもかかわらずである。
わかった上であるとすれば、まるで宣戦布告のごときである。
50を軽く過ぎた今になって思い出してみると、局長も彼女の友達から「林君好きだって。」と伝え聞いていた。
もしかしたら、モテてたかもしれない。
だが、どちらの話にも僕は照れるだけで何のリアクションもしなかった。
伝え聞いただけだったし。
3年の夏の合宿を最後に僕は吹奏楽部を引退した。
成績が落ちてきたために北大学力増進会に通うためだった。
局長との音楽準備室でのコミュニケーションも、かっちゃんと二人で帰ることもなくなった。

僕は旭丘に行くと決めていた。
兄が通っていたからだ。
吹奏楽部でもそう公表していたし、クラスの仲間もみんな南か旭丘を目指していた。
だが、僕の学力低下はそれを下回っていた。
担任の斉藤先生から藻岩行きを勧められ、さらに直前で月寒を勧められ、結局月寒高校に入ることになった。
あまりに入試直前の急転直下だったので、局長にもかっちゃんにもそれを伝えられなかった。
そして彼女たちは旭丘に進学した。
別に彼女たちは普段から頭が良かったので、もし僕が月寒行きを告げていたとしても旭丘を選んでいたろう。
ましてや旭丘を選んだ理由が僕の言葉にあるとは思わなかった。
考えようとしなかった。
そして僕らは別れ別れになった。

月寒高校に進学した僕はバリバリ色気づき、クラスメートのIちゃんに恋し、SOBさんに好きだと言われ、仲間とは局長の話をし、かっちゃんの話をした。
局長への恋心は消えていなかったし、かっちゃんとはたまに澄川駅で会って一緒に帰ったりしていたから。
何よりもかっちゃんとは家が向かい同志である。
窓を開けると彼女の部屋なのだ。
「俺は男だ」の世界である。
高校の親友正信が何度も泊まりに来たが、冬になると酔った勢いで彼女の部屋の窓めがけて雪玉を何度も投げた。
何度か彼女が気が付いてカーテンを開けたことがあるが、バレバレなのに隠れたりしていた。
でもかっちゃんを恋愛対象としては見ていなかった。

局長には高校2年の時に告白をしようとして電話でフラれた。
1年終わりの春休みに悪友正信と関西関東を旅した。その時立ち寄った浅草仲見世でかわいいかんざしを見つけたので、これを局長に贈ってステディーになってもらおうと思った。
その前の夏、顧問の小川先生のアパートに卒業生が集まったのだが、そこで再会した局長はそれはもう近づきがたいほど美しくなっていた。
だからその時になってはじめて彼女を独り占めしたいと思うようになったのだ。
彼女の誕生日の前に意を決して電話をし、会ってかんざしをプレゼントする約束をした。
人生初のデートの約束である。うれしさで自分の体がはちきれそうになった。

だが、そのあとすぐ彼女から手紙が届いた。
電話の時はどうかしていた、プレゼントももらう理由がないと書いてあった。天国と地獄とはこのことである。
彼女とはそれ以来会っていない。
一時、旭丘の仲間からよくない噂も耳に入ったが、心がしめつけられるだけでどうしようもできなかった。

とはいえ、盛りのついた高校生である。
実は正信と旅に出る前の日にもクラスメートのIちゃんを映画に誘って無視されており、
やっていることはおよそ純愛から遠いものであった。
ちなみにその映画はベルサイユのばら実写版。

とはいえ、さすがに局長にふられたのはこたえ、しばらくは頭の中が真っ白だった。

ただ、高校では演劇部に入り、バンドをやり、喫茶店に通いつめ、悪友仙波の家で毎日のように麻雀していた僕はあっという間に高校生活を終える。
そんな卒業間際の僕が家の前に居ると、かっちゃんが家から出てきて話しかけてきた。
藤女子と東京の津田塾大学に合格したので津田塾に行くというのだ。
その時の僕は、道教大函館分校と学園大と東北学院大と防衛大をうけ、全て落ちて浪人が決まっていた。
その時、彼女におめでとうを伝えるとともに、本当は史学科のある東京の大学へ行きたかった僕は羨ましさを感じ、浪人を機に挑戦したいと彼女に話した。
そしてそこから、文通が始まった。

浪人生で時間のある僕はやがて、当時、木村東吉がやっていたパイオニアプライベートのCMをまねてテープレターを彼女のために作り始めた。

それからは彼女が東京の間はテープレター、休み中は玄関前デートになった。
それは一浪後の入試でことごとく希望大学を落ち、最後に学園大に入ることになっても続いていた。僕が見掛け倒しの結果に終わっていてもだ。
そうして迎えた、彼女が津田塾2年目、僕が学園1年の12月、彼女から近所の喫茶店に連れ出された。

僕はそこでシックスフッターの手編みのマフラーをプレゼントされた。
僕はお返しにパルコの地下でブレスレットを買い、そしてあらためて彼女と後日初デートすることになったのである。
二人で見た映画は「E.T」。
ちゃりんこが月を背景に空を舞った瞬間、僕はまいていたマフラーを彼女にしがみつかれて首を絞められた。

普通ならそこから順調に交際が発展するはずだった。

実は史学科への夢を捨てきれなかった僕は、在学しながら共通一次を受け、東京学芸大と法政大への受験を画策していた。
2月中旬から3月上旬までを稲毛の親戚の家で過ごし、かっちゃんとデートしながら、遠距離恋愛の逢瀬を楽しんでいた。
試験直前には高校からの仲間とっちの早稲田のアパートにおじゃまして、入試前にもかかわらず六本木PITTINでCASIOPEAのライブを楽しみ、東京ライフを満喫していた。
ところがあっという間に夢は崩れるものだ。

何度目かのデートを吉祥寺駅での待ち合わせにしたのだが、遅刻しそうな状態になった。たまたま友人の友人がバイクで早稲田から吉祥寺まで走ってくれると申し出てくれたのでお願いした。
これが間違いのもとだった。
若干の遅れであろうと、東京で一番信頼できるのは鉄道である。
関西で子供時代を過ごした僕なのに、そこをはずしてしまったのである。

待ち合わせ時間には30分以上遅れた。
中央線を使っていれば、遅刻は5分で済んだろう。
携帯のない時代、見つからない彼女を探して駅の周りをぐるぐるし、掲示板をチェックし、いるはずのないサンロードをさまよった。
彼女はいなかった。

夜になって彼女に電話を入れると、
なんでそうなるの?の話からどんどん話が違う所に話は向かっていった。
好きな人がいるのに、お母さまから付き合わないでくれと言われているというのだ。
何なんだ?何の話なんだ?
好きな人ってなんだ?
頭はパニくっていた。
僕の事じゃないのか?好きな人って。
ついこのあいだ、かっちゃんからもらったバレンタインチョコで従弟と二人して鼻血出したばっかだぞ。
デートに遅刻して謝ってんのに、なんでこんな話になるんだろう。
でも、今思い出すと、どう聞いてもその好きな人というの僕の事だった。
という事はそのお母さまって僕のおふくろの事だったのか。

どうやら二人だけではない別の世界の干渉が存在していたようである。

彼女と最後にかわした言葉はその電話で。
「好きだった。」
「なんでもっと早く言ってくれなかったの。」
怒られながら電話を切られた。

彼女はその後全日空に就職し、のちに結婚したことまでは向こうのお母さんを通して僕のおふくろから聞いた。

その後僕はまどかさんと知り合い、Rと付き合うことになるのだが、どちらも一年もたない恋に終わった。

もてていた記憶はないが、好きになってもらっていることを大切に思う気持ちがなかったのは残念なことだ。

間違いなくかっちゃんは中学3年から大学2年までの6年、
僕の事を想い続けてくれたのだろう。

そして近すぎてわからなかった彼女の気持ちと希望大学へ行けなかったコンプレックスのせいで小さな幸せをひとつ逃していたのかもしれない。

人の縁とは実に奇妙なものである。

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水をさす?

木曜日に行われたインハイ全道予選は余市での開催で、代休をとって臨んだのだが…

水曜日の朝、布団を蹴っ飛ばして寝ていて、朝起きたら風邪気味だった。

いやなせきこみ方をしているので我ながら夏風邪を自覚していたのだが、

やはり、余市の総体で観戦中にどんどん体が重たくなっていくのがわかった。

とりあえず前夜にサツドラでにんにくのみそかつお漬けとトマトジュースを買っており、

晩酌はしたいので総合感冒薬を飲まず、この二つに頼ることにした。

予選二日目の夜が一番ひどく、しかし焼酎を熱くした午後の紅茶無糖で割ったものを飲み、

にんにくを10個食べた。

その日の夜は恐ろしいほどの発汗があり、布団が汗を吸った湿気で重たいくらいだった。

しかし、その汗のおかげで日曜の朝は面白いほどスッキリ。

体重を測ると最近は60キロちょっとだったのが59キロちょっとに。

なんと1キロも汗をかいたらしい。

せっかくスッキリした体になったのだが、日曜日はけん引役を務めるカラカネイトトンボを守る会の活動があり、決勝リーグは嫁さんに任せて僕はボランティにいそしんだ。

 

その決勝リーグ。

昨日の掲示板で知ったのだが…

疑惑の判定があったというのだ。

 

新聞にも載っている終了0.3秒前のファウル。

それに対して与えられた3本のフリースロー。

残り0.3秒でスリーポイントのモーションに入れるのか?と。

なにやらその判定を巡って協会で訓告があったとのうわさが早くも駆け巡っている。

決着のついた勝敗に水をさす。

しかし、勝負は求めていたほうに微笑むもので、

やはり相手校のほうが攻めていたからこそ、そしてこちらが劣勢にまわったからこその判定であり、

それはそのままが事実。

残念ながら、そうさせない戦いをすれば良かったとしか言えないであろう。

しかし、まあ、なんてドラマチックなインハイだったんだろう。

 

次男坊の旧友、明成の三上君も東北地区一位で抜け、今夏も日本一を目指す。

本大会もドラマチックに!そして楽しもう。

ところで、全道大会は昔テレビで放送してましたよね。

いつからなくなったんだ?

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ボーダーライン

恵南3年生の夏は終わった。

チームはこれから急きょ2年生を中心としたチーム作りに走る。

彼らにとって、3回目のインターハイ全道予選はまさに熱い熱い燃えるような夏となった。

かつて全国に勝ち上がった実績があり、全道ベストエイトは当たり前だった恵南バスケ部だが、

近年は全道には駒を進めることができるが、初戦敗退が当たり前となっていた。

僕からすると、彼らは決して弱くない。

むしろ技術力もスタミナもあると思うのだが、インサイドへの踏み込みが極端に少ないのだ。

こじ開けるドライブ・インがほとんどない。

逆に敵にそれを許し、後半になると自らはリスクの高い中途半端なミドルにはまり、はずし、体勢をどんどん崩していくパターンが多かった。

あせりと疲れによる堂々巡りに陥りやすいのだ。

しかし、勝ちパターンは明確である。

斬り込む。

拾って入れる。

しつこいディフェンスで敵の攻めを崩す。

シンプルである。

それができるのである。

 

しかし、次男坊の言葉を聞くと…チーム全体の意識かどうかは別だが、

相手チームの誰かを意識するのである。どこ中の誰だとか、道選抜の誰がいるだとか。

 

だからそいつに崩されると歯止めがきかなくなる。いわゆる呪縛である。

 

しかし、今回のインターハイ全道予選は呪縛が解けた。

どこからだろう?

札幌地区予選で強豪校が東海大四以外トーナメントの山におらず、主力を温存できたのもひとつ大きな要因だろう。

だが、地区7位で迎えた全道大会までの一か月、

ひとりの選手が意外な進化をとげていた。

センターの松っちゃんである。

リバウンド、こぼれ球の押し込みが彼の仕事だが、

走り込んでのペイントエリア外からのミドルを仕事に加えたのである。

センターの動きに相手もあわてて止めにかかるから、フリースローをもらえる。

確実に恵南の得点力はアップしたのだ。

何か武器がないととの人の声に奮起した彼は

人知れずミドルシュートの特訓をしていたそうである。

これなんだ。

大学時代、ベンチに選ばれない阿部友和選手が

かつてのライバルとともに練習外の特訓を重ねて、やがてレギュラーに選ばれたのと同じである。

これを「努力」という。

確かに才能あるものが努力すれば報われるまでの時間は少ないかもしれないが、

才能がないと思い込んでいる、経験が少ないと思い込んでいる人間こそ

この努力が必要であり、

努力は必ず結果を出す。

そして個の努力がチームにも結果をもたらすのだ。

だから、恵南は全道ベスト4に返り咲けたと僕は思っている。

 

だが、気持ちが挑戦者すぎた。

もっと貫録をもって戦えれば、今年のインターハイは制することができたかもしれない。

昨年の新人戦ころから、札幌市内の地図は塗り替えられる気がしていた。

王者東海の凋落は予想していなかったが。

しかし、たぶん札幌市内の16強すべてがボーダーラインに立っている感じはずっとしていた。

そこを抜けるのは自信かとも思っていた。

実際、全道を制した日大、二位に甘んじた札工はともに札幌地区の一位二位のチームであり、自信にあふれたプレイで今回の山を勝ち上がってきた。

しかし、わがチーム恵南も

決勝リーグ初戦で旭川凌雲に二けた差で負けたが、

日大には終了間際までリードし、札工とは延長戦にまで及んだのだ。

日大戦はあと数秒のところでファウルをとられてのフリースローだった。

そこにある差は。

自信。

 

磨き上げた技術の上に自信。

バスケに限らず、勝つために、勝ち抜くために永遠に必要なものだろう。

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再び世界へ

http://www.japanbasketball.jp/japan/13672

次男坊の元戦友、三上侑希君の動向が知りたくて明成高校をニュース検索していると、

もう一週間も前になりますが、日本代表の記事に。

そこにあったのは唯一高校生で日本代表に参加することになる八村塁君のことが。

筆頭には田臥の代表復活、旧北海道関係者では松井啓十郎、そして第二の田臥を目指す富樫勇樹。

KJの参加はうれしいですが、北海道としては現役の北海道選手がいないのがつらい。

そしていわずもがな、ガードの彼がいないのはさみしいわあ。

それにそても9月のアジア選手権。

次世代のためにも、今のためにも頑張って結果を出してもらわねば!

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郷愁

阿部友和選手の退団で、

この「はよしの小部屋」をふりかえりはじめました。

なんか大学時代からべべ君に注目していたようなことを書いたことがありましたが、

2008年の3月に、当時のレラカムイに阿部友和選手が入団表明をしてから情報収集しているので誤解していたようです。

今も3月から7月までの4か月間を5時間くらいかけて記事とフォロワーさんたちのコメントを読んで懐かしさに浸っています。

べべ君の話以外にも、桜井良太の武者修行やジェワッドウイリアムズ、タイラーニュートン、菅原洋介の去就についてなどネタに事欠かない夢のような日々でした。

http://hayoshi-kobeya.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_0fe2.html

ピヴォのオンザコートに行ったことなんかもつい昨日のことのようで、でも懐かしいことで。

べべ君に札幌に来てもらってそんな時間をすごせてたんだな、と感慨にふけります。

なんせひと月分読むのに1時間かかるので、何日かかるかわかりませんが、ここまでの7年をもう少し一人でふりかえってみたいと思ってます。

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再来週は余市です

インハイ組み合わせを見る。

なんか、まだ一回戦で次男坊のプレイが見れそうな塩梅。

会場は余市の総体。

ま、でなくとも行くんだけどね。笑

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予選5位

水曜日から始まったインハイ。

札幌地区予選を恵庭南は順調に勝ち上がり、ベストエイトで東海大四に屈した。

土曜日の順位戦はきたえーるのサブアリーナ。

思い起こすと先々週から親子ともども怒涛の二週間だった。

練習中の負傷でメンバー入り絶望の状態に陥るも、

千歳の整骨院、岩見沢の鍼灸院、練習会場のぐるんぐるんを繰り返し、

平日は次男坊自力で千歳の整骨院に通う日々からインハイ予選に突入。

すれすれでメンバーに入れてもらった割には出場時間も、むしろ普段よりあり…

ただし、ジャンプシュートができない状態なのでシュート確率は極端に落ちて6分の1程度。

やはり故障者であることは否めない。

それでも使ってもらえるのは3年生に花を持たせてやろうという親心だということを
彼はわかっているのだろうか。

かくいう土曜日もまず、開店前の千歳の整骨院に向かい、そこでテーピングしてもらったあと高速を使ってきたえーる。

きたえーる利用時はいつも車を置かせてもらっている会社がこの時期は繁忙期なので、秘密の公園脇に車を駐車して会場に向かう。

最初は大麻、次が白石。

どちらも1ピりのせめぎあいは互角ながら、スタメンたちのハードプレイが少しずつ点差をつけていく。

しかし、どちらもシューターが高確率でミドルを決めてくるので手に汗握る状態は終わらない。

結局どちらにも勝つが、辛勝のイメージは拭い去れない。

でも、勝ちは勝ち。

このメンバーでの札幌地区5位はベストポジションだったんだ。

みんなおめでとう。

次は小樽(だっけか?)で全道。

次男坊はまず定期試験の直撃を受けるわけだが、

とりあえず、足を直していこうぜ!

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ぽっかり

ブログを始めたときに、

レラカムイが活動を始めブログで必死に応援した。
そこに大学注目選手の阿部友和が入団して拍車がかかった。
彼のプレイに歓喜し、毎試合スコアを眺め、戦評した。
楽しい週末が過ごせた。
やがて次男坊も彼のスタイルを尊敬するようになり、
いつのまにかチームよりも彼を応援するようになっていた。
日本のバスケ少年はNBAに目が行って
国内選手を評価しなくなるが、
べべ君のおかげで次男坊は日本のバスケを見ている。
その阿部友和が北海道から去る時が来るとは
いつか高みに登らなければならないとは思っていたが、
都合よく、去るべきことを忘れていた。
今日はここまでしか頭が動かない。

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