今日のニュース

とか言いながらこれは今日のものじゃあないですが、

レバンガ桜井「優勝目指す」 6季目に向けて抱負(06/12 09:21 どうしんウェブ)

レバンガ桜井、現状維持で契約更改(2012年6月12日09時10分  スポーツ報知)

良太君の契約更改記事。

ほっとします。

なんか奥さんが札幌の人だし、

完全に北海道の選手ですね。

安心。安心。

 

しかし、タイトルの部分ですが、

今朝の道新に小さくのっていた記事。

福岡で発見された木簡のニュース。

これが僕にとっては一面トップに値する超大ニュースなんです。

詳細はそのうち別ブログのROY教授の準備室にあっぷしますが。

私たち九州王朝論者にとっては強力な発掘なんです。

大和王権のおひざ元の奈良ではなく、

九州から最古の戸籍が出たという事が。

身震いしとります。

この先、どんどん木簡が発見されれば

大和朝廷が隠ぺいした大宰府にあったはずの九州王朝の姿があらわれてくるはず。

ものすごかことばい!

最古の戸籍記す木簡出土 太宰府・国分松本遺跡2012年6月13日 01:11 西日本新聞)

九州王朝 木簡出土 太宰府2012年(孤独な散歩者の妄想)

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函館は志海苔館(しのりだて)です。

ちょっと函館方面で仕事だったので、昨年撮らなかった志海苔館の写真を撮ってきました。

Pic_0245_2 

松前藩の由来を書く、新羅(しんら)之記録に道南十二館というのがあって、その中で一番東にあるのが志海苔館です。

多分、東蝦夷地ににらみをきかせる最前線だったのでしょう。

概して中世の北海道は記録が希薄なのでどんな人達がうごめいていたのか、逆に想像力を刺激するのですが、この志海苔館からは武具が出土していないそうですね。

 

でも規模は小さいんですが、東・南面は急峻な崖で、深い空掘りを巡らせたうえにしっかりとした土塀で囲まれている。

これはかなり実戦的に構築された城です。

比較的防御の手薄な北面も空掘りでしっかり防御されています。

中世の遺構というよりは、個人的には戦国時代の築城法に近い気がします。

 

そんな志海苔館。

実戦的に築城されるも、武具が出土しないそれは、最前線とはいっても領土拡大をもくろむ最前線ではなく対アイヌ交易の最前線だったのでしょうか。国内最大の埋納金が出土したのもこの志海苔館のふもとの海岸からでした。

そんな志海苔館もコシャマインの乱や続くアイヌの攻撃によって荒廃することになります。

 

今回講釈はこの辺にして、・・・

Pic_0243 この志海苔館の土塀にいくつか切れ目があるのですが、

一つは西側の大手門。

もうひとつは写真の函館山(河野政通の箱館)を向き、

ひとつは大間を向いています。

これがこの城の秘密というか、真実でしょう。

大手門が西向きというのは、東側に仮想的がいて、味方勢力がその方向にいるということ。特に箱館が見えるようにしているのは、その方面が密接に連携しなければならない勢力であるということでしょうか。

対して、大間方面も望めるのは、多分、南部氏など交易の介入を阻止するためか、武装勢力に対する監視の必要があるからでしょう。

 

気になるのは、道南十二館の館主の名前がたいがい季(すえ)か政(まさ)がつくのに志海苔館館主の小林良景だけはもらってないんですね。

 

当時蝦夷地を管領していたのが安東家で、下国安東氏の政季(まさすえ)あたりから名前をもらうのが安東氏被官としてのステータスだったと思うのだが、小林良景だけがもらってない。子供の代になってもらうのだが、もしかしたら彼は安東氏ではなく河野氏の被官だったのではないだろうか?

館主だったこと、コシャマインの乱のスタートラインにいたことからフレームアップされたかも知れないですね。

 

志海苔館のロケーションからそんな事を考えちゃいました。

Pic_0246 ところでこの城、実は規模ちっちゃいんです。

郭の広さはちょうど学校の体育館くらいでしょうか。

完全武装の武士がぎゅうぎゅうに詰めても100人が限界といったとこですか。

そりゃいくら本格的な築城でも落とされます。

写真は大手から西側の丘陵をみたとこですが、多分いくつかの支城はあったはずですね。

だから落とされた時も、まず本城が焼かれ、支城に逃げ、箱館に逃げて袋のねずみでやられちゃう、という構図です。

 

ううん。結論的にはまったく実戦的ではなかったか。

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土方歳三最期の地

Pic_0202_1 昨年はじめて土方歳三最期の地に行ってみました。

函館の他の観光スポットの中では啄木の歌碑とならぶ寂しいところです。

昨年はここと志海苔館へ足を向けてみましたが、ここもまた人っ子一人おらず寂しいとこでした。

まあ、やたら観光化されている場所を見るよりはこういった人気の少ないところでしんみりと往時をしのぶのが、本当はいいんですがね。

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がっかりだよ!

日曜日、次男坊と恵庭古墳のある場所へ車で行きました。

恵庭古墳?って何のこっちゃという人がおおいと思いますが、所謂江別恵庭古墳、北海道式古墳というものです。正式名称は、たしか柏木東遺跡だったかと思います。

岩手県内にある東北式の古墳と同系統らしいのですが、片や江別は盛り土がわかるような感じでど複数の方のHPに写真が載っていましたが・・・我が恵庭の方は・・・人の土地なので勝手に入り込めませんから、車窓から確認しただけですが・・・盛り土もなんも無い!

というか、その存在がわからない。 それなりの遺物が出てきたところなのに。

これが本州のどっかなら、教育委員会が説明板とはいかなくても標柱くらいは立ててアピールすると思うなぁ。

北海道に古墳ですよ。

ただ地元の教育委員会はカリンバ遺跡に看板も標柱も立てていましたね。

確かに全国に誇れる複合遺跡だから。

余談ながら、南茅部の遺跡の価値も低くされすぎですねぇ。三内丸山とリンクしている上に、大型住居跡やら、アスファルトの使用痕やら、八戸の是川に近いくらいの価値がある筈なのに・・・

やはり、北海道人は歴史の価値を引き出すのが下手なんですね。

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